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合格実績

2015年度合格者

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合格者の声

合格者の声

 

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医進塾®卒業生の声 ~医学部での日々~

田中 小百合さん 秋田大学医学部1年
小池 卓也さん 東海大学医学部1年
吉田 桃子さん 防衛医科大学校1年

 

今、どんな勉強をしているの?
吉田さん 今は教養科目を学んでいますが、2年からは解剖があって、専門科目が始まり、そして3年からは研究所に所属します。あと、課題や実験のレポートもその日のうちに提出しますし、毎週英単語のテストがありますからこれから本格的に忙しくなっていくと思います。でも、医進塾であれだけ勉強しましたから、“きっと乗り切れる!”と思っています。
小池くん まだ1年生なので授業はそれほどきつくないですが、これから専門科目が始まるにつれて大変になってくると思います。
田中さん 1年次の勉強は、必修科目に加えて選択科目が豊富にあるので、自由に選んで受けることができます。専門科目に専念する前に、医師として必要な知識を幅広く身につけることが大切だと思って、いろいろな科目を選択して楽しく授業を受けています。

 

どんな大学生活をしているの?
吉田さん 私の通っている防衛医大は寮生活なので、規則正しい生活です。朝6時半に起床して食事などをして、夕方5時まで授業。それから部活動をやって、夜9時頃から課題などをこなして、24時に消灯します。ルールがたくさんあるのですが、そのせいか勉強とその他の時間にとてもメリハリが効いているような気がします。部活動は必須で、体育系はバドミントンで、文化系では演劇系の部活と、あと吹奏楽でサックスも吹いていますよ。
小池くん 今住んでいるところから学校まで10分くらいなのですが、そのせいか「絶対に休まない」生活が続けられています。大手予備校に通っていた時とは大違いです(笑)。クラブは中学から続けている野球と、あとサイクリング部に入って汗を流していますよ。
田中さん 勉強に部活にと、まるで高校時代に戻ったようで新鮮な毎日です(笑)。秋田という地域性もあって、部活動は冬はカーリング、夏は柔道部に入っています。秋田は受験の時に初めて訪れたのですが、とてもいいところ。これから本格的な冬を過ごすのですが、どういう生活になるのか楽しみだったりします。

 

将来どうなりたい?
吉田さん 今のところの志望は小児科です。でもこれから勉強を進めて、5・6年ではBSL(臨床実習)がありますから、いろいろな科を回って、じっくり考えていきたいと思います。また、大学に残って研究を続けるという道もあると思いますから、先生や先輩たちの話を聞いて、将来を決めていけたらと思っています。
小池くん 僕は子どもが好きなので、実家の小児科医院を継いでがんばっていきたいです。地域の子どもたちをきちんとケアしていくのはとても責任の重い仕事だと思いますから、いろいろな事を学んで行かしていければと思います。将来的に病院に置けるように、今からいいマンガを集めていますよ(笑)。
田中さん 産婦人科や小児科など、女性に関する科目で親身になって診察していきたいですね。女性特有の病気は全ての科にありますから、幅広く学んでいくことが大事だと思います。あと、将来的には地元の埼玉県に戻って、地域医療に貢献していきたいと思っています。

 

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先輩医師からの激励の言葉

羽生信義先生 外科医:羽生信義先生
町田市民病院副院長・外科部長
東京慈恵会医科大学 客員教授
医学博士

一流医師が語る医師の“スピリット”
~医療系の仕事を目指す後輩たちへ~

命の現場で自分を支えるのは、医師としての“スピリット”。
手術が難しいと言われる食道ガンのエキスパートとして活躍している羽生先生。
現在は若い研修医を育てる役目も担っている先生が語る、貴重なご経験のお話、そして医師を目指す人へのメッセージとは?

 

高校時代の衝撃的な“事件”が医師を目指すきっかけになった
高校時代の衝撃的な“事件”が医師を目指すきっかけになった私が医学部を受験したのは今から40年くらい前でしょうか。その頃は、“親が医師でなければ子供は医師になれない”と言われていました。金銭的な問題に加えて、今でさえ80ほどの大学に医学部家庭があって8.000人くらいの定員ですが、当時は5.000人弱の定員しかなかったこともあって、とても狭き門だったのです。しかも私の父は公務員でしたから、このチャレンジはとてもハードルの高いものでした。
しかし、それでも私が医師になろうと思ったのは、1968(昭和43)年に行われた日本初の心臓移植手術がきっかけでした。この手術はその後さまざまな論議を呼びましたが、当時高校2年生だった私には、とても衝撃的な出来事でした。“技術を駆使して、人の命を助ける” ――こういう仕事ができる医師、特に外科医に憧れたのです。でもいざ受験勉強を始めると、とても大変でした。浪人の時に早稲田ゼミナールに通ったのですが、当時は名物先生がたくさんいて思い出深いです。
夢中になって勉強していても、それでも秋以降はプレッシャーもあって精神的にとてもきつかったですね。そんな時は、学生時代に熱中していた陸上・短距離のことを思い出し、当時の走っている写真を見て気力を振り絞っていました。
医師になろうと決意した高校時代、それが私の原点だったのです。

 

技術だけでなく、医師として大切な事を学んだ若い頃
技術だけでなく、医師として大切な事を学んだ若い頃こうして東京慈恵会医科大学に進んだのですが、ここからも苦難の連続でした。
大学時代から専門は食道ガンだったのですが、これは外科の中でも最も手術のダメージが大きく、医師の腕が試されるから。どうせ外科医になるのなら最高レベルの技術を身につけたいと思ったのですが、それだけに苦労が多かったですね。
25歳で卒業してからも、研修のため休みの土曜日や日曜日には群馬県にある先輩の病院に通って、技術をみっちりと教えてもらっていました。その先輩はとても厳しく、手術中には常に怒られっぱなし。病院の外では優しく接してくれるのですが、とにかく現場では本当に厳しい人でしたね。結局10年間教わったのですが、この時期にきちんと修練を積んだおかげで、人の命を預かる現場で難度の高い外科手術を行うというのはどういうことか、その真髄を教わりましたね。
また、技術以外の事も大切です。どんなに知識があったとしても、実際に患者さんに対して適切な治療ができなければ何にもなりませんし、手術に際しても患者さんに対してはもちろん、ご家族にもきちんと内容を説明して信頼を得なければいけません。そのためには、常に謙虚な気持ちを持つ事が大切なのです。辛い毎日の中でも、私は若いときにこうした大事なことを学んできたような気がします。

 

命を預かる現場で大切なものを若い医師に教えていくのも仕事
命を預かる現場で大切なものを若い医師に教えていくのも仕事今は外科部長として後進を育てる役目もしているのですが、若い研修医たちには“細かさとスピード、そして気配りを忘れるな”と言い続けています。
私が先輩に教わった時のように、私も手術室ではきちんと怒りますね。そして約束や期限を守るといたことも厳しく指導しています。医師は、最初の指導が肝心ですから、若い研修医には人間を育てる、という気持ちで接しているつもりです。
もう1つ、私が常に言い続けているのは“外科医は全医療従事者の模範になれ”ということです。誰よりも早く病院に来て、謙虚な気持ちで責任感をもって仕事をする。これは外科医の“スピリット”と言ってもいいかもしれませんね。そういう気持ちを持っていて欲しいと思うのです。
このスピリットの原点は、私の場合は医師になると決意した高校時代にあると思いますね。みなさんの中には親が医師の方もたくさんいらっしゃると思います。しかし、そうした人もそうでない人も、“なぜ自分は医師になりたいのか”という思いを持っていてもらいたいです。医学部の勉強は覚えることばかりで大変ですし、卒業してからも苦しいことの連続。しかも責任が重くのしかかります。決して苦痛と思ってはできない仕事ですから、そんな時に自分を支えるのが原点なのだと思うのです。
  一人ひとりのその原点が、スピリットとなって自分を支え、人の命を救っていく――。そんな気概をもった医師がたくさん出てきたらいいな、と思いますし、私は後輩のために全力で外科医の真髄を教え続けていきたいと思っています。

 

羽生 信義
はにゅう のぶよし
東京慈恵会医科大学卒。
慈恵医大外科に勤務後、2004年7月に町田市民病院着任。同年10月より外科部長。2009年4月から同病院副院長に就任。
現在、客員教授として母校の慈恵医大で教鞭を執り、後進の育成にもあたっている。

 

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